あの頃のTVをしばらく見ない
- kandaiki
- 12月15日
- 読了時間: 2分
更新日:1 日前
先日の授業で、生徒とこんな会話がありました。
「先生は、テレビ、なにを見てますか?」
「テレビは持ってない」(意識高い系)
すると驚いた様子で、
「テレビ持ってないんですか?」「じゃあ、映画とか見るとき、どうするんですか?」
と聞かれました。
「映画は見られるよ。インターネットでね。テレビもインターネットで見てるし」
そう答えるとその子は
「あぁ⤵」
とだけ言い、なんとなく会話を終えたのでした。
後から振り返ると、この会話は噛み合っていなかったのかもしれません。
私にとって「テレビ」とは、
日テレ、TBSやNHKというテレビ局があり、各局が制作した番組を映すための“画面のある箱”のことです(地上波、BS)。
一方で、今の子ども達にとっての「テレビ」は、YouTubeも、映画も、民放やNHKの番組も全て含めた「映像コンテンツ全般」を指しているのではないかと。「金曜ロードショー」と「Netflix」は同じ世界線に存在していると捉えているのかもしれません。
つまり、その子は「テレビとは、もともとネットにつながっているもの」という前提で話をしていたのです。
そう考えると、
「テレビ持ってない」→「じゃあ、映画はどうやって見るの?」
「インターネットで見てる」→「えっ!そもそも映像って、ネットで見るものじゃないの?」
というすれ違いが発生したのだと思います。
同じ「テレビ」という言葉を使っていても、指しているものが、変わっている。
それは、ある日突然変わるのではなく、気づかないうちに、静かに入れ替わっていくようです。
大人が「昔はこうだった」と思っている間に、今の子ども達の中では、すでに別の“当たり前”が動き始めている。
プログラミングの授業でも、
「こう作るもの」
「こうするのが普通」
そう思っていた枠組を超えて行動をする子ども達がいます。
それは「非常識」ではなく、「新しい前提」なのかもしれません。
「当たり前」は、固定されたものではありません。だからこそ、自分の「当たり前」を疑ってみること。
子ども達との、あの何気ない会話は、そんなことを教えてくれました。

あの頃は、大好きだったテレビ。
今はあまり見なくなってしまったのは、「世の中はこういうものだ」と思い込んでいた、自分の視点も変わってしまったからなのかもしれません。




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