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  • kandaiki

先生、青春ってなんですか?

更新日:2022年7月22日

以前、授業の中で、小学5年生の男の子から、こんな質問を受けました。


「先生、『青春』ってなんですか?」


5年生といえば、まもなく思春期を迎えるお歳頃。青春が何か気にもなるでしょう。が、ちょっと窮しました。


「青春とは何か?」


これは「愛とは?」「ロックとは?」など同じ真理へのアプローチ。大人としての力量が試されます。どう応えようかと思案する私の頭の中では、自ずと中学・高校時代の夏の記憶がよみがえっていました。


中高ともに「文武両道」の校是を地で行くスパルタ校で過ごしました。夏といえば「夏期強化講習」「夏季強化練習・強化合宿」。「キョウカぁ!キョウカだぁ!」という先生達の怒号のなか、夏休み期間は、勉強と部活だけ。ひたすら「競争に勝つための訓練」に明け暮れる日々でした。


そんな勉強と部活だけの記憶の中に、ふと、ある情景が思い浮かびました。そして、何故かその情景こそが「青春だった」と確信が持てたのです。


「青春ってね、コンビニの駐車場で友達とカップラーメンを食うことだよ」


そう応えると、


「コンビニの駐車場でカップラーメン食うのが青春なんですか?!wwww」


と、私の斜め上(予想外)の応えに、クラスの子ども達は一斉に爆笑していました。


「まあ、小学生にはわからないだろうけどねー」



あの頃の夏休みは、通常授業よりも数倍ピリついた雰囲気の夏期講習と、学期中よりも練習時間が長い部活の毎日。そんな1日を終えた帰り道で、よくコンビニに寄っては買い食いをしていました。


明日も講習。膨大な量の予習をしなければ、先生に吊るし上げられる。さっさと家に帰って予習した方が賢明。でも、出来るだけ帰る時間を遅らせたかったのでした。


夏空が紫色を帯びながら夜へと変わりはじめる頃。コンビニの駐車場で、友人達とバカ笑いしながら食べるカップラーメン。「あー、帰んのめんどくせー」って、ずっとこの時間が続けばいいのに。そう思っていたあの「ひと時」は、まさに青春でした。




さて、もうすぐ夏休み。私たちの教室では、夏は授業を行いません。

子ども達の夏休みは、プログラミングよりも、違うことに時間をを使ってほしいと思うからです。


1ヶ月以上も学校がない夏休み。子ども達は「あー、どうやってこの膨大なヒマ時間を潰してやろうか」という大きな解放感とともに夏休みをスタートさせるのではないでしょうか。


夏休みの時間をどう過ごすべきか?

ゲームばかりしているワケにもいかないし、かといって勉強だけなんて受験生でも無理がある。ヒマならテレビやYouTubeで時間は潰せるが、それって夏休みにすることか?


夏は、普段とは違う日常を過ごしてみてはどうでしょう?


普段と違う日常とは、効率的・合理的に時間を使うことから距離を置くこと。



「特に読みたい本がなくても、大型の書店に行ってみる」→今読みたい本ないし、行くだけムダ。めんどくさい。


「ケーキを、手作りしてみる」→材料や道具集めるの大変だし、失敗するかもしれない。買った方がいい。


「見慣れた風景を写真や動画で撮影して、加工・編集してみる」→なんで? 宿題でもないのに意味なくね?



こんな「何でわざわざ」と思うような非効率で非合理的な行為をしてみることで、人は「しなくてもいい経験」や「抱かなくてもいい感情」を体験することになります。


この「どうでもいい」と感じることの中に、大切な人生観が詰まっていたりします。そして、それが「別のモノへの興味」や「新学期から急に勉強しだす」といった「行動が変わるきっかけ」になる可能性を秘めているのです。


そして、そこに至るまでには、ある程度の時間と労力がいる。そう!ヒマ時間が潰せるのです。


私たちのプログラミング教室では、効率的なコーディング(プログラムを組むこと)や、合理的に考える思考を指導しています。その効率的で合理的な思考様式こそが、未来を生きるためのスキルとなるからです。それがプログラミング学習の効果の一つです。


しかし、夏休みだけは違います。夏は輝いていて、楽しい季節。だから、効率や合理的なことは忘れて、非効率で非合理的な冒険をしてほしいと思っています。普段はプログラミングをしている時間も冒険に当ててほしいのです。




さて、「青春とは何か?」のお話に戻します。


「青春とは、コンビニの駐車場で友達とカップラーメンを食うこと」という持論を言い放った授業が終わった後、「どうして、あの情景を『青春だった』と確信できたのだろうか?」とサウナの中で考えていました。そして、水風呂の中で答えが出ました。


コンビニで友達と買い食いすることは、勉強と部活ばかりで、家と学校を往復するだけの生活をしていた中高生の自分にとっての、ささやかな冒険だったのです。


あの非効率で非合理的などうでもいい時間で


「家に帰りたくない」

「コンビニがあれば俺は一人で生きていけるんだ」


というような、「変な自立心」を芽生えさせていたのかもしれません。


結論:「青春とは、非効率かつ非合理的な冒険をすること」

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